歴史問題

4f8c872510/17(火) 14:26配信 中央日報日本語版

岸田文雄首相が17日、第2次世界大戦A級戦犯が合祀された靖国神社に供物を奉納した。一部の閣僚は靖国を訪れて参拝した。


時事通信などによると、岸田首相はこの日始まる靖国神社の秋季例大祭を迎えて「内閣総理大臣 岸田文雄」名義で「真榊」と呼ばれる供物を奉納した。真榊は神壇や祭壇の左右に立てる祭具。

岸田首相は2021年10月に首相に就任して以来、終戦記念日(8月15日)や春季・秋季例大祭になると欠かさず靖国神社に供物を奉納している。今回で7回目の奉納となる。岸田首相は19日まで開かれる今年の秋季例大祭期間も直接参拝はしないことが発表された。

日本の現職首相が靖国神社を直接参拝したのは2013年に安倍晋三当時首相が最後だ。

現職閣僚はこの日相次いで靖国神社を参拝した。新藤義孝経済再生担当相がこの日午前に靖国神社を訪れたことに続き、高市早苗経済安全保障担当相も参拝した。新藤経済再生担当相は参拝後、記者に対して「かつて国のため、家族のために務めを果たされた英霊の皆様に尊崇の念を込めてお参りした」とし「私の行為が外交問題になるとは考えていない」と述べた。

西村康稔経済産業相も前日に靖国神社を参拝し、私費で玉串(榊の枝に白い紙をつけたもの)を奉納した。超党派議員の集まり「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」所属議員は18日に団体で靖国を訪れて参拝する予定だ。

韓国外交部当局者は16日、西村経済産業相の参拝に対して「政府は日本の過去の侵略戦争を美化して戦争犯罪者を合祀した靖国神社に日本政府閣僚が参拝したことに対して深い失望と遺憾を表す」と明らかにした。

東京千代田区にある靖国神社は明治維新以降、日本で起きた内戦や日本が起こした戦争で亡くなった246万6000人余りの英霊を祀っている。このうち9割は太平洋戦争に関連する人物で、極東国際軍事裁判(東京裁判)により処刑された東條英機元首相ら太平洋戦争A級戦犯14人も合祀されている。韓半島(朝鮮半島)出身者2万人余りも合祀されているが、神社側は遺族の合祀取消要求を拒否している。


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1:ななしさん 2023/10/11(水) 04:33:12.85
大河ドラマ「どうする家康」では、ついに文禄の役がはじまった。文禄の役では、日本が朝鮮半島に攻め込むと、朝鮮の人々を捕らえて連行した。その辺りを詳しく確認することにしよう。

日本における戦争では、乱取り(人や物資の強奪)が軍事的な慣行になっていた。しかし、日本軍が朝鮮半島に攻め込んだとき、日本軍による乱取りは禁止が命令された。秀吉は長く朝鮮を支配するため、逆に朝鮮人の還住を推し進めたのである。

とはいえ、秀吉の強い決意にもかかわらず、乱取り禁止の方針は将兵に無視され、戦時中の朝鮮半島各地で乱取りが行われた。次に、その実態をもう少し詳しく確認することにしよう。

文禄元年(1592)、日本軍が朝鮮半島に上陸すると、平塚滝俊(常陸佐竹氏の家臣)が肥前名護屋城(佐賀県唐津市)で留守を務める小野田備前守に書状を送った(「秋田県立公文書館所蔵文書」)。

滝俊の生没年や出身地は不明であるが、佐竹氏家臣団の中では、中級クラス以上の地位にあったと考えられている。その書状には、乱取りの一端が書かれているので、次に関係部分を示しておこう。

高麗で二・三の城を攻め落とし、男女を生け捕りにして送ってきた。(朝鮮人の)首を積んだ船があるようだが、私は見たことがない。男女を積んだ船は見た。

内容は、朝鮮半島で捕らえた男女を日本に送ってきたことを示しており、現地で日本軍による乱取りを行った証になろう。朝鮮人の首を積んだ船もあったようだが、滝俊は見たことがないという。朝鮮人の首とは、日本の将兵が軍功の証として、日本へ送ったものである。

そもそも敵兵の身分がわからないうえに、おびただしい分量になっただろうから、首実検が正確に行われたのか疑問である。首は数だけでなく、敵兵の身分(大将格の首は価値がある)も重要だった。

敵兵の首を取るのは序の口で、朝鮮半島では日本軍により残酷な行為が行われた。慶長3年(1598)10月に泗川新城で戦いが行われると、島津軍は明・朝鮮の連合軍を相手に大勝利を収めた。その際、城の外に大きな穴を掘って、討ち取った敵兵33,700人を埋めたという。

そして、その死体から鼻だけを削ぎ取り、塩漬けにして日本に送ったのである(『島津家記』)。敵兵の耳や鼻を削いで、持ち帰る際に塩漬けにしたのは、腐敗を防止するためだったと考えられる。

本来、軍功を証明するには、敵兵の首を持ち帰るのが普通だった。しかし、首は非常に重たかったので、首の代わりに耳や鼻を削ぎ取って持ち帰ることもあった。特に、朝鮮出兵で持ち帰った耳や鼻を供養したのが耳塚(鼻塚)であり、京都市東山区の豊国神社前にある。


このように、日本軍は朝鮮半島で数々の蛮行を行ったが、このことがかえって朝鮮の人々の反抗心を煽ることになり、最終的に撤退せざるを得なくなったのである。

『本山豊前守安政父子戦功覚書』は、加藤清正の配下にあった本山豊前守安政父子の朝鮮半島における軍功を書き残したものである。同書には、「男女生子も不残撫切に致し、鼻をそぎ、其の日々塩に致し」と記されている。

つまり、安政は男女や生まれたばかりの赤ん坊も残らず撫で切りにし、鼻を削いで毎日塩漬けにしたというのである。もはや戦闘員・非戦闘員を問わず殺戮したので、その数は一度に20,000~30,000に及ぶこともあった。

なお、このとき取った鼻が日本に持ち帰られ、先述した鼻塚に埋葬されたのである。

10/10(火) 5:00
https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/cb846aee9c74f9fbb29277edc8bfdf159982c9e3


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2023年10月06日 08:30 歴史

「韓国併合条約」によって朝鮮が日本の植民地となった2年後の1912年に完成した黒部ダム(栃木県)。その過酷な建設現場には朝鮮人労働者もいた。


研究者の内海隆男さん(85)がダム建設に関する調査を行う過程で労働犠牲者を追悼する碑(1913年建立)の存在を確認し、今年7月にフィールドワークを企画した。総聯栃木県本部の李在哲委員長や日本市民、朝鮮大学校の学生らが参加したこのフィールドワーク先で、一行は、碑文に「朝鮮 金英七」という名が刻まれていることを発見する―。

〈歴史の「語り部」を探して〉栃木編では、1910年代に県下で犠牲となった朝鮮人労働者の存在を明かす碑や、関東大震災時の朝鮮人の足跡を示す現場を訪ねた。


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1:ななしさん 2023/10/10(火) 06:54:13.04
1500年前の日本の関西、朝鮮半島の祖先が住んだ場所だった
2023-10-10 06:10

『渡来人の考古学と歴史』発刊 
米国の学者が古代韓日交流史をまとめた本

 最近、韓国人が最も多く訪れる海外の観光地の一つが、大阪のある日本の関西地方だ。日本で最大規模のコリアンタウンがあることでも有名なこの地域について、多くの韓国人は、20世紀初めに植民地となった祖国を離れた多くの朝鮮人が生計のために定着したところだと認識している。

 しかし、歴史的な真実は、関西に刻まれた古代の祖先の驚くべき足跡を伝える。『続日本紀』の8世紀初めの人口調査記録によると、1300年前の関西地方の中心だった南部の奈良盆地に住んでいた人の80~90%が百済系移民だった。それを立証するのが、関西地方に5世紀後半から登場する百済特有の墳墓の様式である横穴式石室墳で、6世紀まで爆発的に増加し、高安などの地域に「1000個の墓」という意味の千塚古墳群が雨後の筍のように登場する。一部のエリートの墓は王陵級であり、非常に大きいうえ、銅鏡、鉄製短剣、刀、金のイヤリング、玉・ガラス製品などが出土し、百済と馬韓系統の住民と支配者の存在を示している。未発掘の古墳は数百基にのぼり、関西地方だけでも少なくとも1000基を超える百済系の古墳群が造られたと推定される。歴史考古学者の石渡信一郎氏は「千塚と呼ばれる巨大な墳墓の主が朝鮮半島西南部出身の渡来人とその子孫であることを考えれば、紀元後475年から600年までの125年間に、少なくとも100万人が朝鮮半島から日本列島に渡ってきたものと考えられる」と推定した。


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1:ななしさん
10/7(土) 10:00配信

「目の前で朝鮮人が殺されたんだ」。8月中旬、東アジアの平和構築や交流を目的に、幌加内町朱鞠内で開かれた「東アジア共同ワークショップ」(WS)。参加者約100人の中で最高齢の日本人男性(89)=札幌市=はマイクを手に取り、少年時代の体験を静かに語り始めた。

1942年4月。幌加内村(現幌加内町)の朱鞠内国民学校2年生だった男性はその日、いつもより早く学校から帰宅した。両親は下宿屋を営んでいたが、父は旧満州(現中国東北部)へ出征し、母は実家に帰っていたため、家には一人だった。

トイレで用を足そうとした時、窓の外にふと目を向けると、日ごろ仲良く遊んでくれていた朝鮮人労働者の青年2人が後ろで手を縛られて立っていた。向かいには刀を下げた憲兵2人がいる。1人の青年と目が合う。視線に気がついた憲兵がこちらへ振り向いたすきに、青年たちは逃げ出そうとした。その瞬間、憲兵が背後から青年2人の首めがけて刀を振り下ろす。二歩、三歩と進んだ体が、倒れこむのが見えた――。

「どうしよう」。しゃがみ込んだが、数秒後に憲兵2人が裏口のドアを蹴破って入ってきた。「お前、これ見たか?」。首を縦に振る。「見た以上は生かしておけん」。刀が上がった。「こんな子供を殺してどうするんだ」。もう1人の憲兵が止めに入る。「お前、これを忘れるか?」「はい」

男性にはその時から記憶がないという。記憶が戻るのは事件から1年8カ月後、東川町からきた祖母に「明日父ちゃんが満州からけがして帰ってくるよ。『お帰りなさい』と言うんだよ」と声をかけられた瞬間からだ。その後、朱鞠内を離れたが、両親はこの地を二度と訪れようとせず、男性が記憶をなくした間のことを何も話してくれなかった。

「この記憶は死ぬまで隠して生きていこうと決めていた。記憶があることが誰かに知られたら殺されるかもしれないから」


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1:ななしさん 2023/10/07(土) 13:22:10.97
「子どもに二度と描かせてはならぬ」残酷な絵 元教授が語る「教訓」
10/7(土) 11:45配信 毎日新聞

100年前の関東大震災の直後に起きた朝鮮人の虐殺を描いた絵画をスライドなどで紹介し、未来への教訓とする講演会が9月30日、富山市内で開かれた。講師は、長年同様の絵画を収集する元専修大教授、新井勝紘さん=東京都福生市。子供たちの目に焼き付けられた凄惨(せいさん)な場面を前に「二度と子供たちにこのような絵を描かせることがあってはならない」と訴えた。

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新井さんは、1990年代に在職した国立歴史民俗博物館(千葉県)で日本近代史の常設展示を手がけたのをきっかけに、この問題に取り組んでいる。この日は富山の市民グループ「関東大震災『あなた』と『わたし』実行委員会」が主催。歴史的事実を否定する動きが高まる中、関東大震災100年を機に、歴史認識を現代人の課題として考えようと企画した。

講演ではまず、絵画収集のきっかけである、現在の東京都墨田区にかつてあった本横小の4年生の男子児童が描いた絵画を紹介。芋畑の中で朝鮮人とみられる男性が大勢の制服姿の男性に捕らえられている様子が色鉛筆で描かれている。新井さんが当時、一緒に絵画を描いた人を探し出し、制作の経緯を尋ねたところ「一番怖かったこと」がテーマだったといい、「子供たちにとっては、火災や倒壊などよりも、大人たちの集団虐殺の方が怖かったのだろう」と子供の心に残した傷痕の大きさに思いをはせた。

童画作家、河目悌二氏(1889~1958)が描いたスケッチについても説明。大勢の人々が見ている前で、竹やりとみられる棒を持った群衆が後ろ手に縛られた数人の朝鮮人とみられる人々を襲い、何人かが血を流して倒れているスケッチでは、襲撃に加わっているとみられる民間人の姿もあり、新井さんは「公衆の面前で、官民一体となって虐殺が行われたことを示す」と解説した。

また、2021年に入手した全2巻の「関東大震災絵巻 大正15年肉筆 淇谷(きこく)」では、裸足の人物があおむけに倒れ棒を持った軍人らしき人物に蹴られたり、手に刀や棒を持った二十数人の警察官や軍人らに囲まれたりしているのが見える。その先では、3人が血を流して倒れ、1人は背中に竹やりが突き刺さったまま。その残酷さは目を覆いたくなるほどだ。

この絵巻は12月24日まで、東京都新宿区の高麗博物館の企画展「関東大震災100年―隠蔽(いんぺい)された朝鮮人虐殺」(月曜休館)で展示中だが、国内の公立博物館などではどこも展示が実現していないという。実行委の呼びかけ人、甲田克志さんは「朝鮮人虐殺をなかったことにしようという圧力をひしひしと感じた。この動きとどう向き合えばいいのか考えるきっかけにしてほしい」と話した。

https://news.yahoo.co.jp/articles/1bbc08707d832ab4494a20c77b0fa239db88a45f


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1:ななしさん
9月18日 CGTN Japanese

日本では、一部の政界有識者が過去に中国を侵略した日本軍の犯した戦争犯罪について絶えず反省の念を示し、日本の民衆に侵略の歴史を忘れないよう呼びかけています。

日本の野党の櫛渕万里衆議院議員は歴史の真相を明かすことに長年尽力し、日本政府に歴史を正視して罪を反省するよう促しています。

櫛渕議員は、「日本が歴史問題において、中国、韓国、朝鮮をはじめ、東アジアの近隣諸国と真の和解をしていないことは極めて遺憾だ。日本政府は和解を模索する努力をせねばならない」と呼びかけています。

櫛渕議員はまた、「日本政府はしばしば、広島と長崎に原爆が投下された被害者であることを強調するが、その誘因となる侵略戦争や植民地支配については言及を避けてきた。このような行為は歴史の真相を覆い隠し、歪曲しようとするものだ」と指摘しました。

櫛渕議員はさらに、「広島と長崎が経験した災難は大きな悲劇だが、根本的には、日本が侵略戦争と植民地支配を起こした加害者だった背景がある。日本政府はこの点を直視し、そもそもなぜ広島と長崎の悲劇があったのかを根本的に考えねばならない。つまり、第一に、歴史の改ざんは絶対に許されない。次に、日本政府が歴史の事実を認め、考証し、謝罪して和解を得ることが必要だ」とも指摘しました。

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1:ななしさん
韓国の教科書も沈黙する「朝鮮人虐殺」【コラム】

1923年9月、東京・神奈川など関東一帯でマグニチュード7.9(推定)の大地震が発生し、住宅街が激しい揺れに見舞われて炎に包まれる大きな混乱が起きた。この混乱に乗じて「朝鮮人が井戸に毒を入れた」などのでたらめな悪いうわさが日本人の間で広まり、「朝鮮人無差別虐殺」という惨劇が発生した。100年が経過した今も、事件の経緯や犠牲者の数などについて日本政府レベルの調査は行われていない。

最近、韓日関係は「シャトル外交」再開や韓米日首脳会議などで急速に回復しつつある。しかし、関東大震災のときに繰り広げられた朝鮮人虐殺の傷痕は依然として癒やされていない。日本側に事件の残酷さを想起させて真相究明と謝罪を求め、本紙でもこうした痛みの歴史を忘れてはならないという趣旨で最近、企画記事「関東大震災100年、埋もれる朝鮮人虐殺」を6回にわたって報じた。

その過程で、韓国国内の高校検定韓国史教科書9種類を調べた。関東大震災での朝鮮人虐殺を取り上げた教科書は6種類(リベルスクール、未来N、ピサン教育、CMASS、志学社、ヘネムエデュ)だった。残りの3種類(金星出版社、東亜出版、天才教育)では関連の記述を見いだすことはできなかった。

事件を取り上げている6種類の教科書でも、関連の内容は長くても文章三つ分にとどまった。さらに、6種類の教科書中3種類では、本文ではなく「別途の囲み記事」で関東大震災時の朝鮮人虐殺に言及していた。例えば「1923年の関東大地震の後、日本人が同胞たちを虐殺したこともあった」(ピサン教育)という短い文章で、流言飛語の流布や日本の軍隊・警察の虐殺加担、日本政府が沈黙している実態などは取り上げなかった。残りの教科書でも状況は同様だった。未来Nの教科書は、当時の日本人らの流言飛語流布や自警団組織などを比較的具体的に記述したが、「国外移住同胞の苦難」という別途のコーナーで、「間島惨変(1920)」などひとまとめの他の囲み記事よりも比重は小さく、最下段に配置されていた。

悲劇の歴史において軽重を測ることはできない。しかし、関東大震災での朝鮮人虐殺の痛みが他の歴史に比べて注目されていないという点に、残念な思いを抱かずにはおれない。旧韓末に日本から受けたさげすみを忘れまいと言いつつも、日本列島に住んで直接的な差別に遭っていた朝鮮人同胞らの死は、肝心の韓国国内ですら忘れられているのが実情だ。国民の歴史観について責任を負う教科書ですら扱いが小さいとなると、誰がその歴史を記憶できるだろうか。

最近、日本政府に関東大震災当時の朝鮮人虐殺に関する調査を要請した杉尾秀哉参院議員は、本紙のインタビューで「歴史と向き合い、誤りがあれば認めて新たな日韓関係をつくる契機にすべき」と語った。同胞の悲劇にもかかわらず韓国の教科書が「関心」をあまり示さない中で、日本の責任ばかり問うのか。まず韓国人が究明し、記憶してこそ、罪もなく犠牲になった在日同胞らの傷痕を少しでも癒やせるだろう。

朝鮮日報/朝鮮日報日本語版

https://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2023/09/14/2023091480152.html


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1:ななしさん 2023/09/15(金) 09:11:23
(略)

 田野氏が憂慮するのは、こうした誤りを指摘されてもなお「ナチスは良いこともした」と主張し続ける人が多いことだ。

 「過去にSNSで『ナチスの政策で肯定できる点はない』と発信したところ、批判が殺到して炎上状態になりました。最近も『ナチスは良いこともした』という主張を見るたびに誤りを指摘していますが、それでも意見を変えない人が目立ちます」

 こういった主張をネット上の意見として放置するのは容易い。しかし田野氏は「『ホロコーストはなかった』といった、より深刻な歴史修正主義へと発展する可能性がある」として、潜在的な危険を指摘する。

 「ホロコースト否定論者の中には、心の底からそう信じているわけではなく、教科書的でお行儀のよい”定説”への反発から、そう主張している人がいます。『ナチスは良いこともした』と言う人にも、同じような動機から、単に『逆張り』をしているだけの人が多い。両者には共通する面があるので、将来的にもっと過激な主張へと発展しかねません」

 ナチスに限らず、日本史でも誤った主張に固執するケースはある。中でも「日本の植民地統治は朝鮮を豊かにした」という意見はネットを中心に幅を利かせているが、東京大学教授の松本武祝氏はこう指摘する。


 「この説は一部の人によって繰り返し主張されてきました。しかし地主など限られた資産家を除き、大半の朝鮮人は経済発展から疎外され、むしろより低水準の生活へと追い込まれたのが実態です」

 だが鉄道や学校教育など、日本が整備した社会インフラは役立ったのではないか―このような反論に対しても、松本氏は疑義を呈する。

 「日本が整備した鉄道は朝鮮半島と満州を結ぶ軍事的な意味合いが強く、朝鮮の人々にとって日常的に便利な路線ではなかった。解放後も日常生活においてどれだけ有用だったのかは疑問です。

 日本が整備した学校は、農民、単純労働者あるいは下級官僚として必要な知識を日本語で教える、最低限の初等教育に重点を置いた体制でした。それを『朝鮮の人々の役に立った』と言うのは、かなり一面的で偏った見方ではないでしょうか。

 15年ほど前まで、こうした主張は一部の右派的な人だけに見られるものでした。しかし最近ではこうした意見がネット上で拡散していて、危機感を覚えます」

 過去を正しく直視した先にこそ、未来がある。

 「週刊現代」2023年9月9・16日合併号より
 
https://news.yahoo.co.jp/articles/a9bd7b3eda95e9dc10f4cbcf219d0aac053efc13?page=1


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s-c304bbad1:ななしさん 2023/09/14(木) 00:23:41.90
2023-09-13

政府が国連人権理事会に「慰安婦および強制動員被害者に日本政府が公式謝罪をした」という内容の意見書を提出したことが確認された。被害者支援団体は「事実歪曲であり、被害者の尊厳性を踏みつける措置」と反発した。


13日、第54次国連人権理事会韓国NGO代表団などによると、政府は第54次国連人権理事会セッションに提出した意見書で、日本政府が「慰安婦」被害者と「強制動員」被害者に対して公式謝罪をして加害した事実を認めたという内容の回答を提出した。

代表団は「日本政府は被害者に公式な謝罪をしなかっただけでなく、反人道的犯罪を犯した事実も否定しており、被害者に対する賠償請求権も否定している」とし「政府の回答はそれ自体で不適切な回答で'慰安婦'および'強制動員'被害者の尊厳性を再び踏みつける反人権的措置」とした。 中略

被害者支援団体も「日本外交部もやる法的な回答」と反発した。ハン・ギョンヒ正義記憶連帯事務総長は通話で「国連は戦争犯罪に対する謝罪と賠償がどのようになされたのかを尋ねたが、『女性家族部が被害者を支援している』という不正な同文解答をした。他の内容も日本外交部から出てきた資料をそのまま持ち込んだのではないかと思うほど」とし「日本は責任を回避する行動を見せているが、今の政府の立場は理解できない」と話した。以下略

https://news-nate-com.translate.goog/view/20230913n34212?mid=n1006&_x_tr_sl=ko&_x_tr_tl=ja&_x_tr_hl=ja

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1:ななしさん 2023/09/13(水) 06:52:36.76
生きるためにしがみついた船、日本は海に突き落とした…強制動員鉱夫の悲劇
ハンギョレ新聞 2023-09-13

黄山玉埋鉱山118人犠牲鉱夫遺族会の会長、パク・チョルヒさん 
1944年に済州に連行された300人あまりの鉱夫 
国内動員なので慰労金支給対象から除外 
「コンクリート鉱物倉庫、教育空間とすべき」

 旧暦7月16日の夜は、村の家々が明るかった。同じ日、同じ時刻に法事を行う家が17世帯にもなった。子どもの頃は「本当に奇妙だ」と思ったが、その理由はよく知らなかった。日帝強占期に済州に強制動員された祖父は海難事故から生きて帰ってきたが、30代後半で亡くなったという話を聞いて育った。「黄山玉埋(ファンサン・オンメ)鉱山118人犠牲鉱夫遺族会」の会長を務めるパク・チョルヒさん(69、門内面)は4日、ハンギョレの電話取材に対し、「口述採録をするために村を訪ねてきたある歴史学者の勧めで、10年あまり前から玉埋鉱山鉱夫の海難事件の『真相究明』に身を投じている」と語った。

 全羅南道海南郡黄山面玉洞里(ヘナムグン・ファンサンミョン・オクトンニ)と門内面龍岩里(ムンネミョン・ヨンアムニ)にまたがる玉埋山には、ミョウバン石が多く埋まっていた。ミョウバン石はアルミニウムの原料で、戦闘機などの軍需品の製作に使われる。玉埋鉱山では1937年の日中戦争開戦以降、採掘量が増え、1944年に朝鮮総督府の指定軍需会社となった日本の浅田化学工業(株)は労働者を強制動員した。門内面と黄山面に住んでいた住民のうち500~1200人あまりが、日本企業の経営する玉埋鉱山に強制動員された。パク会長は「玉埋鉱山の労働者を含む全国の多くの鉱夫が、日本が本土死守の砦にしようとしていた済州に改めて強制動員された」と語った。

 玉埋鉱山の300人あまりの鉱夫は1944年3月、3回に分けて済州に連行された。済州のモスル浦(モスルポ)近隣地域、旧左邑(クジャウプ)の海岸洞窟、山房山(サンバンサン)などの軍事施設の構築工事に投入され、陣地を構築するのが主な任務だった。彼らは「長時間労働に苦しめられ、牛のエサのような飯を食わされ、下着だけを着て幕舎もなく木の枝を積んで作られた場所で生活」させられた。翌年解放されると、8月23日午前1時ごろ、250人(日本人管理者3人を含む)を乗せた35トン級の木造船に乗って帰郷の途に就いた。パク会長は「鉱山と鉱夫の架け橋役だった故キム・ベグンさん(2022年死去)が『木造船が沈まないか心配し、鉱夫たちが船に乗る度に数字を数えた』と語っていた」と述べた。

 帰郷船は全羅南道莞島(ワンド)の青山島(チョンサンド)沖で機関の故障を起こした。原因不明の火災も発生した。鉱夫たちは沈没する船から飛び降りた。ちょうど日本の警備艦(軍艦)が事故海域に接近していた。故キム・ベグンさんと日本人管理者の1人だけがまず救助された。パク会長は「軍艦は事故にあった人たちが朝鮮人だという話を聞いて、生きている人たちをそのまま置いて行ってしまった。果ては、船に乗ってこようとする鉱夫たちを突き落としてしまったという」と語った。
パクさんの祖父(パク・コムスルさん)も海に浮かんでいた木の足場にしがみついていたところ、満ち潮に押し流されて青山島の住民たちに救助されたが、その際に肺を痛め、3年足らずで生涯を終えた。


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1:ななしさん 2023/09/07(木) 23:45:03.58
「関東大震災100年朝鮮人虐殺犠牲者追悼と責任追及の行動」実行委員会が主催する国際シンポジウム「関東大震災朝鮮人虐殺の責任と課題」が2日、東京・千代田区の連合会館で行われた。場内は、日本各地から集まった同胞や日本市民、また南朝鮮の同胞など約350人でいっぱいになった。

この日のシンポは、今年1月、朝鮮人強制連行真相調査団やフォーラム平和・人権・環境(以下、平和フォーラム)など朝・日の各団体と個人が集い発足した同実行委が、関東大震災から100年に際し企画したもの。実行委では発足以来、▼植民地主義の清算およびそれが招来する差別の払拭、▼日本政府による犠牲者への謝罪と真相究明、▼朝鮮半島出身者との連帯―を基本軸として活動を展開してきた。

国際シンポジウム「関東大震災朝鮮人虐殺の責任と課題」が2日、東京・千代田区の連合会館で行われた。

主催者を代表し、元法務大臣の平岡秀夫さん(弁護士)があいさつした。

平岡さんは発言冒頭、100年前の大震災で虐殺された朝鮮人犠牲者らに哀悼の意を示したうえで、昨今、官房長官が会見の場で「事実関係を把握する記録は見当たらない」と述べるなど朝鮮人虐殺に関する日本政府の対応を非難。「今を生きる日本人の中には個人的に責任を負うべき人はいないかもしれない。しかし、朝鮮人虐殺の事実を明らかにし、その明らかにされた事実に応じて、謝罪など必要な対応をする責任がある」として、今を生きる日本の市民らの責務について問うた。

https://chosonsinbo.com/jp/2023/09/05-101/


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1:ななしさん 2023/09/07(木) 03:50:25.07
月1日で発生からちょうど100年が経った関東大震災。その当時起きた朝鮮人虐殺を巡り、政府の松野博一官房長官が「記録がない」と発言したことが波紋を呼ぶ中、ヒップポップグループ「ライムスター」の宇多丸(54)が真っ向から疑問を呈した。

8月30日の記者会見で、松野官房長官は記者から「政府として朝鮮人虐殺をどう受け止め、どのように反省しているのか」と質問されると、「お尋ねについては、政府として調査した限り、政府内において事実関係を把握することのできる記録が見当たらないところであります」と発言。

さらに31日の記者会見で別の記者から、防衛省に保管されている公文書の存在や、内閣府ホームページにある虐殺を認める記述などを根拠に、発言の意図と虐殺の存在に対する政府見解を追求された際も、「(報告書は)有識者が執筆したものであり、政府の見解を示したものではない」とし、改めて「政府内に事実関係を確認することのできる記録が見当たらない」と前日の見解を維持した。

この発言に1日のラジオ番組『アフター6ジャンクション』(TBSラジオ)で反応したのが、宇多丸だ。宇多丸は毎年同番組の9月1日放送回では、朝鮮人虐殺について触れており、ネット上でたびたび浮上する「朝鮮人虐殺はなかった」という言説に対して、警鐘を鳴らしてきた。

そして今年も番組のオープニングトークで「毎年私は9月1日はもちろん、その災害に備える、地震に備えるみたいなことももちろん大事です」とし、朝鮮人虐殺の話へ。内閣府が出している朝鮮人虐殺に関する資料の内容などに触れ、松野官房長官の発言を紹介した上でこう続けた。

「気味悪いし、通常の人権を重んじる国家で、明らかに歴史的に認定されている、後から後から資料が出てきて、教科書にも書いてあるようなことですよ、そういう虐殺を『資料ないんでよくわかりません』みたいなこと言ったら、一発アウトだと思うんですよね」

さらに、墨田区で毎年行われる朝鮮人虐殺の犠牲者追悼式典には歴代都知事が追悼文を送ってきた。しかし、小池百合子都知事は就任翌年の2017年から送付せず、今年も送らなかったことについても言及。

「もちろん都知事の小池さんだって『諸説あるんで』と。諸説なんて無いです。歴史的に確定した事実です。なかった説は非常に杜撰な説を振り回した虚言でございます。まさしくデマです。 恥ずべき、というか驚くべき政治の倫理の低下と言いましょうか。人権軽視甚だしいというか、どの口がロシアの侵攻とかを非難できるんですかね。

とにかく、私が言えることは、みなさん、こういうこと言う政府ですよ。これ政府見解ですよね、官房長官が言ってるんだから。こういうことを言う政府であり、都知事なんですよ。来年都知事選挙あったりしますけど、みなさん本当によく考えて下さいね。ほかの色んな政策あってもいいですよ。いろんな考えはあっていいけども、めっちゃ人権軽視してます、人命を」

そして、最後は「しかも、これから色んなこと、災害が起ころうかという東京で、反省し、学び。要するに、で、こういうこと言うと『日本人の悪いことばっか言って』と。違いますよ。二度と日本人が変なことしないように、我々が殺人者にならない、虐殺者にならないように、より良き日本として世界に確固たる地位をキープできるように、こそ必要な心構え」とした上で、「こんなことは許されてはいけない」と語っていた。

女性自身 9/5(火) 6:04配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/d6e5cf2eb66e383e64fee3684a954e9739f19cd2

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1:ななしさん 2023/09/06(水) 18:13:02.91
韓国・ソウル市の日本大使館付近で6日、韓国のキリスト教団体が今月発生100年を迎えた関東大震災時に虐殺された朝鮮人犠牲者を悼むモニュメントの設置を試みた。

道路を管轄する同市鍾路区は設置を認めず、警察が阻止した。区は「まだ設置申請が提出されていない状態」としている。

団体は6日、日本大使館付近で集会を開き、虐殺問題を巡り「政府内に記録が見当たらない」とする日本政府に「虐殺を認定しろ」と声を上げた。

旧日本軍の従軍慰安婦問題を象徴する少女像の付近にモニュメントを設置するとして、トラックに載せ近くの路上まで運んだが、警察に取り囲まれて動けなくなった。

qwsd

https://nordot.app/1072077179483898099

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1:ななしさん 2023/09/06(水) 07:23:30.20
9/5(火) 17:52配信

神奈川県の黒岩祐治知事は5日の定例記者会見で、1日で発生から100年となった関東大震災での朝鮮人虐殺を巡り「事実はしっかり見つめることが必要だ。(虐殺の実態調査について)国の判断でどこまでやれるのか、見守るしかない」と述べた。

関東大震災では、東京や神奈川を中心に「井戸に毒を入れた」などの流言が広がり、多くの朝鮮人らが殺害された。松野博一官房長官は8月30日の会見で「政府内において事実関係を把握する記録が見当たらない」と述べていた。

黒岩氏は「重要なのは、今後の災害対応で流言飛語などによる混乱を防いで正しい情報を発信し、県民に適切に行動してもらうことだ」とも強調した。

kuro

https://news.yahoo.co.jp/articles/0e17c81cb130d55761248c8c14ac15cbd2e5f7e8

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