1:ななしさん 2020/11/17(火) 11:30:59.61
3年後に発生から100年を迎える関東大震災そして朝鮮人虐殺。史実は今なお日本社会に暗い影を落としている。今、何が問われているのか。関係者へのインタビューを手がかりに考えたい。

まずは、虐殺の歴史を伝える活動を続ける一般社団法人「ほうせんか」理事で在日韓国人2世の慎民子(シン・ミンジャ)さん(70)から。20代で「自分は殺される側の人間」と実感したのが活動の原点だ。

――在日の立場で、かつての虐殺に何を思うのでしょうか。

何の理由もなく多くの朝鮮人が同じ地域に暮らす日本人に殺された。20代の時、在日の仲間と始めた歴史の勉強会で知りました。自分は殺される側の人間なんだ、ということは大きな恐怖でした。

在日は生きづらい。それはずっと変わっていません。なぜと思うぐらい、朝鮮人への差別は続いています。息子はバイトの面接で本名を名乗ると落ち、日本名を使うと採用されました。

高校や幼保無償化の対象から朝鮮学校は外されています。国を挙げてのヘイト(憎悪)行為です。
こうした中、出自を隠し、電車で気を使って日本語で話す朝鮮ルーツの子どももいます。





――虐殺の歴史を伝える「ほうせんか」の活動に長年、力を入れてきました。

「私を殺さない仲間」を増やすためです。とりわけ思い入れがあるのは、「虐殺を繰り返さないんだ」というシンボル的な朝鮮人追悼碑です。1973年、横網町公園にできた時はうれしかった。

虐殺が起きた現場の一つ、墨田区八広で、スタッフが地元の人に当時のことを聞き取り文献をまとめ、追悼碑を建てました。都内で唯一の取り組みです。訪れた人にかつてあった虐殺について説明したり、料理教室を開いたり、プンムル(伝統芸能)の練習をしたり。人と人が出会う場所になっています。

――「虐殺の歴史はなかった」という言説や朝鮮人へのさげすみがインターネット上にあふれています。

国として歴史を直視しようとしない日本では、むしろ自然なことなんじゃないでしょうか。それでも、横網町公園で開かれる追悼式典に来る人は年々増えています。今年も遠くから慰霊碑に向かって手を合わせる女性の姿を見ました。どれだけ力づけられたか。私の生活の基盤は日本にあり、ここでしか生きられません。「3代住んだら江戸っ子」と言っても、私たちはまだ排除されている。日本を心から古里と思いたい。誰もが生きやすい社会になってほしいのです。

ことば「関東大震災と朝鮮人虐殺」


1923年の関東大震災後に「朝鮮人が井戸に毒を入れた」などのデマが広がり、信じ込んだ住民らが多数の朝鮮人らを殺害した。国の中央防災会議報告書(2008年)は、当時の死者・行方不明者約10万5000人のうち1~数%が虐殺の犠牲者だったと指摘している。

https://mainichi.jp/articles/20201116/k00/00m/040/351000c

【村上春樹】 「コロナ危機、朝鮮人虐殺のように動く可能性がある」
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/news4plus/1594599156/

【話題】青木理「学術的知見では関東大震災の朝鮮人虐殺数がわからないからといって、朝鮮人虐殺の否定は飛躍だ」

2:ななしさん
かえれ

3:ななしさん
還れ!

4:ななしさん
外国人が大きな顔してのさばってる事自体大問題

5:ななしさん
早く帰りやがれ!

7:ななしさん
学校では ありません

9:ななしさん
>>1
嫌なら日本から大好きな韓国に移り住めよ

16:ななしさん
朝鮮人に殺された日本人のほうが多いんじゃないかな

21:ななしさん
そんな国に居座らないで祖国へ避難しなさいよ^^

28:ななしさん
毎日か~、ならその逆が正しい。

36:ななしさん
祖国に帰れば解決する、簡単な事なのに