s-c304bbad1:ななしさん 2020/10/21(水) 00:21:39.07
中曽根康弘元総理は現代日本右派政治のドンである。彼は1983年前後、日本総理としては初めて海外訪問地にソウルを選んだ。後日、彼は当時を次のように回顧した。「右手に米国、左手に韓国の手を握って韓・米・日三カ国が太平洋国家に突進しよう、というのが私の外交戦略だった」 。

彼が政権を取った1980年代初めは「米・ソ新冷戦期」だった。40年過ぎた現在の米・中葛藤と全く肩を並べる。

中曽根元総理は当時まで戦後日本外交を支えてきた経済発展中心の吉田路線から遠く離れ、喜んで米国のために日本を「浮沈空母」とみなすことを強調した。米・日軍事同盟強化は普通国家になるための踏み台だった。東アジアの盟主を自任するために「左手の韓国」は日本の勢いを形成するために必要な重要なパーツだった。

韓日関係改善はその前提であった。翌年1984年当時、全斗煥(チョン・ドファン)大統領が答礼訪問の形で日本を国賓訪問した時は「今世紀、日本が韓国と韓国国民に対して大きな苦難を及ぼした事実を否定できない」として深い遺憾を表明した。このような立場は元大統領の昭和日王との面談での「遺憾」発言につながった。

2010年、中曽根元総理は知韓派言論人である朝日新聞の故若宮啓文主筆(2016年死亡)とのインタビューで「韓国にそのようなことをした以上、一度は謝らなければならない」ということが当時の立場だったと明らかにした。さらに付け加えた。「私は民族主義者なので韓国の民族主義も理解していた」と。政治感覚で武装した優れた現実政治家であり、日本の国益の観点から大きな絵を見ることができる外交設計者であった。 (中略:葬式問題)

40年前、左手に韓国の手を握った日本の大韓半島外交はもはや暮れつつある。もちろん韓国も捉えた日本の手を離して長くなるようだ。


アベ路線の忠実な継承を前に出している菅義偉(スガ・ヨシヒデ)日本総理は就任後、初めての通話をオーストラリアのスコット・モリソン総理とし、2番目の通話は米国とした。米国は第1の同盟国で、オーストラリアは「自由で開かれたインド・太平洋構想」に参加する準同盟国だ。

今月の初めにはインドを含んでインド・太平洋構想に参加する4カ国外交長官が東京に集結し、スガ総理はこの席で対中国包囲網結成に日本外交が中枢になると自任した。スガ総理の初めての外国訪問国は中国と緊張関係を形成しているベトナムだ。

勢力を伸ばすことに乗り出した日本の左手はすでに袋がいっぱいだ。戦略的利益と呼ばれる21世紀型協力の理由を探せなければ、韓国と日本が手を握るはずはない様に見える。


https://www.fnnews.com/news/202010201828340969




3:ななしさん
キムチでも握ってろゴミが!

6:ななしさん
うぜえ
中国に抱き着いてろよ

8:ななしさん
シナに金玉握られとけ

9:ななしさん
もう日本に頼るな、クズ乞食

12:ななしさん
気持ち悪っ

18:ななしさん
ふざけんな、ぼけ
  

27:ななしさん
き☆め☆え

29:ななしさん
早く現金化しろ
なにかいい事起きるかもしれんぞw

41:ななしさん
韓国が手を払ったんでしょ

45:ななしさん
日本は足を洗ったよ

48:ななしさん
反日国は死ね