no title1: LingLing ★2017/12/01(金) 22:43:47.83
■キム・ウィジョン「全国学校で伝統茶禮教える日所望」
11月27日 シサON(韓国語)

・キム・ウィジョン茗園文化財団理事長
・「2千年韓国茶文化、倭乱・支配で日本に奪われて」
・「博覧会通じて世界が既に韓国を茶文化国家として表示」

韓国にもチャ(茶)文化がある。


屈曲の歴史の中で、私たちが失った数多くの物のうちに、韓国のタレ(茶禮)もあった。しかし、時代を問わず常に文化を守って、蘇らせるという意義あることをする人たちがいる。 省谷、キム・ソンゴン元サンヨン(双龍)グループ会長と彼の妻である茗園キム・ミヒ夫人がそうだった。 二人の意志は彼らの娘につながった。

彼女がまさに韓国茶禮の宗家である茗園文化財団のキム・ウィジョン理事長だ。母女は2代にわたって息絶えたと思っていた韓国の茶禮を復活させた。と14日、ソウル城北洞の茗園文化財団で行ったインタビューで、キム理事長は韓国茶の簡略な歴史とともに、今、蘇った韓国の茶道に対する話を聞かせた。 茶と共に40年を過ごした彼女の声には、ほのかな茶香がついていた。

<韓国茶歴史2000年…日本に奪われた文化>

-私たちの茶文化というと、まだ馴染みがない人々が多い。

「多くの人が茶道は日本のものであると知っている。しかし、私たちの茶の歴史は深い。文献を辿れば伽耶時代から記録がある。これは新羅に続いており、高麗で絶頂に達した。茶を飲む方法には、茶葉を入れて飲む葉茶と粉末茶を点茶して飲む抹茶があるが、高麗時代にはその二つともあった。寺で行使する燃燈会、八関会などでも茶を必ず要して、吉礼・凶礼・嘉礼に加えて、使臣を茶で接待する接賓礼、戦争当時、茶を飲む軍礼もあった。茶が好きな英国人たちが湾岸戦争の時でも戦車内で茶を飲むことができるように備えて、『アフタヌーン・ティー』の時間には銃も撃たないというでしょう。私たちにもそういう戦争での茶文化もあった。朝鮮時代にも崇儒抑仏政策によって多少は萎縮されても茶文化が残っていたが、壬辰倭乱の略奪、そして日帝強占期を経て、全て日本が持ち帰った。

-茶と関連された遺物が韓国にはあまり残っていないと聞いた。

「茶文化を話しながら磁器を欠くことはできない。日本が一番狙っていたのがまさに磁器だ。当時、中国とウリナラ以外には磁器を作る技術を持っていなかった。それで、倭乱の時に豊臣秀吉が特命を下して、御所丸という専用船まで与えながらウリナラの茶に関する記録、茶と関連されたあらゆる遺物を全て持って来いと言った。その結果、韓国には、からっきり茶文化の基盤になるような茶器が殆ど無くなった。 日本には、個人が持っている私たちの茶の遺物だけでも膨大だ。日本では毎年朝鮮茶器道具を展示する個人博物館がある。毎年春と秋に行われているが、私が何十年もの間行っても同じ物を一度も見たことがない。それほど多くある。」

-日帝強占期時代も、韓国の茶文化が完全に消えるところだったと聞いた。

「日本は茶文化の重要性に早く気づいた。各家には最も重要な空間に茶室がある。茶の間に招待されるということはすごい光栄だ。これを外国貴賓たちが来ると、代表的文化として紹介しながら外交に素早く利用した。さらに、朝鮮時代に連行した陶工たちが作った磁器を通じて茶器も発達させて、外交で利用した。そして強制占領期時代、私たちには主に酒文化を流行させようとした。茶禮で酒を使うのもそうなったのだ。元来、茶を使って茶禮だ。それでも、女子生徒には日本の茶道教育を行った。 私の母が茶に関心を持つようになったきっかけも、その日本式茶道教育だ。」 つづく)

http://www.sisaon.co.kr/news/articleView.html?idxno=66024

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3: LingLing ★
>>1のつづき

<茶礼は静的な文化の頂点である総合芸術>

-お母様である茗園キム・ミヒさんは韓国の茶禮概念を最初に確立した方でもある。

「母が、実家のある安東で習った茶禮作法と日本式茶禮作法があまりにも違っていたので疑問を抱いていたが、1952年ヘルシンキ五輪を通じて、欧州と経由地である日本・東京に行けるようになった。 当時は、李承晩(イ・スンマン)大統領がよほどのことでなければビザを出してもくれない時代だ。しかし、私の父(省谷 故キム・ソンゴン会長)が大統領を説得した。スポーツの重要性を説明しながら、代表チームの全ての費用を出すと言った。それで何とか母親も一緒にいけることになったが、そこで欧州のティーパーティー文化に接した。全ての重要な議論はその場で行われた。衝撃を受けた母は経由地である日本で日本が茶文化をどのように活用するのか、またどのように生活に浸透しているのかを見てきた。それで私たちが持つ茶文化を復元する決心をすることになった。」

-すでに韓国茶文化の多くが消えた状態なので、困難な状態だったようだ。


「純宗の皇后である純貞孝皇后が母と親しい間柄だった。当時の王室の人々が困難にあったが、父はそれでも食べていけるように支援しなければならないと主張してたくさん助けた。それで、感謝の気持ちを持っていた皇后が、母の希望で尚宮三人を紹介してくれた。 そのうち、キム・ミョンギル尚宮から母親には正当の王室茶禮を伝授された。 残りの二人が、ファン・ヘソンさんに宮廷料理を、ソク・ジュソンさんに宮廷服飾を、途絶えないために伝授することになった。

-聞いたところによると、お父様とお母様が私たちの文化の保存に、関心を実に多く寄せたようだ。


「文化というものは、お金だけでも成り立たないが、お金がなければまた成り立たない。 現代とサムスンがなかった時代、父は韓国株式会社1号を立て、大きく成功した。 そして貧しく伝統をする人たち、疎外された芸術家をたくさん支援した。 サムルノリ、アンドレ・キム、伝統を研究する学者などを惜しげもなく支援した。 父が一度、『私たちが1年に後援するために使った資金がいくらか知ってる?普通の中小企業が一つ建つ資金だ』と笑いながら言ったこともある。 そういうみんな途切れて消えていくものを多く救った。 一例としては、1979年に初めて私たちの茶の学術大会を開いた。発表する学者がいなくて準備期間がなんと10年かかった。今は外国大使やその夫人たちが財団に来て、韓国にこういう良い茶文化があるのか知らなかった、一生忘れないだろうと言うようになった」

-その娘であるキム理事長も名園世界茶博覧会で全世界に私たちの茶を教えた。


「今年で22年になった。ホテルで開いていた行事が数年前にはCOEXに移さなければならないほど規模が大きくなった。何よりもいいことは、世界茶文化地図に茶を楽しむ文化があり、茶を生産する国は緑色で表示される。 これまでに中国、日本は色付けされていたが、ウリナラはなかった。 しかし、世界茶博覧会を通じて今や私たちにも茶文化があることを知らせた。 私たちも緑色で表示されて全世界が知ることになった。

-現代社会で茶礼がどのような意味を持っているのか、なぜ重要なのか聞かせてもらえたら。


「ウリナラは今、動的文化は発達している。 K-popや多様な文化産業のほとんどが動的文化に偏ってれている。 一方、静的文化、精神文化は相対的に不足している。 東方礼儀之国は今どこへ行ったのか。 茶礼は静的な文化の頂点だ。人格教育のための総合芸術だ。 最近はそれでも、若い人の中で目覚めた人達が子供の頃から韓国伝統茶礼教育に関心を持ち始めた。幸いなことだが、まだ行く先は遠い。 日本式が混ざったものを教える亜流も公然といる。私たち茗園文化財団は宮中茶礼の正統性を持って、インターネットで検索できる知識の代わりに眼識を教えている。私は一人では理解できないことのみ教えてきた。 政界をはじめ多くの人たちがもっと関心を持って手伝ってくれたら嬉しく思う。 全国の中高等学校に私たちの茶礼書と茶礼を教える時間ができればという願いがある。」


5: 東亜のななし
お笑い朝鮮人

8: 東亜のななし
日本に奪われたという記録なり書物なりが残ってて言ってるんだろうな?

14: 東亜のななし
>>8
ヒデヨシと日帝が全部燃やした
これを否定する奴はネトウヨ

17: 東亜のななし
電気ポットに魔法瓶、トイレットペーパーのやつだろ?
知ってる

23: 東亜のななし
魔法瓶茶道

34: 東亜のななし
伝統の歴史って
自分勝手に創造するもんじゃないわい!

39: 東亜のななし
そのうち2千年どころか5千年くらいになる。

日本に何でも奪われたと言っていればいい楽な商売だなあ

43: 東亜のななし
お前いつも奪われてんなwwwww

57: 東亜のななし
で文献は?

60: 東亜のななし
>>57
ウリナラに対する愛はないニカ!

68: 東亜のななし
定着していた文化を抹殺するなんて皆殺しにでもしない限り不可能なんだがな
日帝ってたかだか36年ですよw

96: 東亜のななし
韓国って何で日本の真似ばかりするの?

111: 東亜のななし
魔法瓶の”パコ”って言う音には笑ったが、自分で飲み始めたときには目が点になったwww

112: 東亜のななし
ここまで妄想できるもんかね

121: 東亜のななし
また出鱈目創作捏造だよ
なんなんだこの国は?

31: 東亜のななし
証拠はないけど二千年


元スレ:・【文化】 韓国茶の歴史二千年、倭乱・強占期で日本に奪われたが…伝統を復元、今や世界が韓国を茶文化国家として知る[12/01]